祇園祭り

新編豊川市史第九巻民族
平成13年3月15日発行P.972〜976より

2008.06.22訂正 般若:羽子板様の棒、天狗:バットのような棒

長草素盞嗚神社の祇園祭り
祇園祭りの起源は、平安時代869年(貞観11年)に全国に疫病が流行したため、京都の八坂神社の祭神素盞嗚尊の祟りとして勅命によって御霊会を行って除疫を祈ったことによるといわれている。
長草でも氏神様の素盞嗚神社に所蔵してある獅子頭と三匹の鬼の面を使って祇園祭りを行う。
 この祇園祭りは、疫病退散の行事として旧暦の6月15日(現在7月の第二日曜)に行われる。その起源はさだかではないが、この祭りに使われる面を天保2年卯月(1831年4月)に長草出身の深井勘右衛門(旧姓片岡)が寄進していることから、当時もおこなわれていたことは想像できる。現在使用している面は昭和47年(1972年)に氏子の有志が寄贈したもので、深井勘右衛門寄贈の面は素盞嗚神社に収蔵されている。
 7月第二日曜日の午後1時に、長草の素盞嗚神社に約10名の氏子の青年が集合し、拝殿の中に収蔵してある獅子頭・般若面・天狗面・しおふき面を取出し準備する。獅子頭は、獅子舞のように頭の後方に人がはいれる位の大きさの布がつけてあり、一人が獅子頭を持ち他の一人が布を持つ。般若は青色の布で頬かぶりをし、その上に通称「あごじょう」とよばれている白毛の般若面をかぶり、上下青色の衣装を着用し右手に大きい羽子板様の棒を左てに団扇をもっている。天狗はえんじ色のぬので頬かぶりをし、通称「からす」とよばれている赤毛の天狗面をかぶり、右手に団扇、左手に野球のバットのような棒を持っている。しおふきは青色の布で頭を包み、通称「ばあさん」とよばれているしおふき面をかぶる、白色の着物を着て青色の裃と袴を着用し、左手に団扇を持っている。準備ができると、拝殿で神官のお祓いをうけた後、獅子頭を先頭に神社を出発する。神社を出発した獅子頭と三匹の鬼は途中二度の休憩をはさんで初盆の家を除いた長草の全戸(75戸)を回る。 獅子頭は鬼の先導役として訪問する家の玄関先で2回口をパクパクとあけ、まもなく三匹の鬼が来ることを知らせる。三匹の鬼は玄関に入り、出迎えてくれたその家の人一人一人を持っている団扇であおぐ。
 あおがれた人はその年に夏病をしないという言い伝えがある。

通称:あごじょう (般若) 通称:からす (天狗) 通称:ばばー (しおふき)