手 筒 煙 火
て       づつ       はな       び


この頁は代わり映えしないと思いますが
次頁からはその都度更新していきます。

(4月の祭礼・8月の手筒まつり)
(平成19年4月9日 大筒関係追加)


TBSの花火関係番組によりますと花火の発祥はイタリアらしく約700年の歴史とか?
花火と言えば「打上花火」が有名で全国津図浦々で見かけることが出来ます。
他に「水中花火」・拙の知ってる範囲では埼玉県秩父、静岡県沼津周辺の「流星」
または「龍星」「綱火」(豊川だけかと思っていましたら伊達政宗公のお膝元にも)

そして愛知県東三河地方独特の「手筒煙火」筒作りから放揚までを紹介します。



手筒煙火

下に手筒放揚・大筒放揚
ム−ビ−
愛・地球博
エンディングイベント in SETO
平成17年9月23日 瀬戸市南公園グランド






   てづつ はなび
        手筒花火とは

  真暗な夜空に一瞬クッキリと噴きあげる火柱、それは まもなくド−ンという豪音とともに消える。手筒煙火には素朴な詩情と抱え手の勇壮な余韻が残る。 手筒煙火とは、火薬を筒に詰め、これを噴出させると言う単純なもので、いわば花火の原点であり、現在でも神社へ奉納するため自らを浄化し全身全霊を打ち込み放揚する。このため手筒は放揚する人自身の手によって造られる特異な煙火でもある。
 手筒づくりは、太い孟宗の竹取りから始まる。約1ケ月程の時間を掛け、竹の「節抜き」「油抜き」「筒巻き」更に火薬の「仕込み」「詰込み」などいくつかの行程を経て丹念に作りあげられる。手筒煙火は火薬を詰めた筒を脇に抱えて放揚するもので、ひとつ間違えが命すら落としかねない。従ってひとつひとつの作業には、全神経を集中し、まさに命を掛けての仕事である。
 そして放揚。わずか数十秒間に全身全霊を打ち込み放揚する。素朴であるが故の美しさと危険性が男のロマンを沸き立たせ、観る者にその緊張感、男度胸が伝わってくる。最後にド−ンという腹の底に響く豪音、これらはまさに光と音の浮世絵を演出する。
 このように危険と、美しさと、豪快さが同居している手筒煙火を、多くの先人たちは何等の科学的知識のなかった苦難の時代を、鋭い感と冒険的努力によって、独自性を導き現代に伝承してきた。
 花火の歴史をひも解くのは難しい。火薬と言う軍事機密性が高く、規制が厳しい素材であるため、文書による伝承はなく口伝により特定の人にのみ受け継がれてきたためである。
 戦国時代、ともに三河の人間である織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3英傑が活躍する過程の中で火薬が重要な役割を果たしたことは、歴史が証明している。
 1601年家康はその本拠を江戸に移したが、三河東部一帯を徳川直轄地とし、全国から有数の火術家を集め、火薬及び弾丸の研究開発を命じた。この地域が、現在の豊川市財賀町、千両町及び豊川右岸の麻生田町から当古町あたりであった、と推定される。
1614年、大阪夏の陣において、真田幸村の忍者集団が強力な火薬による゛地雷飛龍火″や゛火銅連火=筒火薬″を自由にこなして家康を悩ませた。これを機に家康は、火術を研究する各流家の三河東部からの脱出を禁止し、火薬取扱について御留令を発布、限られた優秀な青年武士を集め「青年鉄砲隊」を結成し、火薬の研究と開発、用法の演練を特命した。同時に全国の諸大名に鉄砲と火薬の研究を禁止する特令を発した。
 その後、この土地でどんな開発、研究がなされたかは明らかではないが、三河青年鉄砲隊の隊士は、幕府の許可を得て、神社の祭礼に研究の成果である
火薬を使い、煙火、筒火を発揚し、火薬の効果を試験していた。その後については三河煙火史に曰く。





孟 宗 竹 藪

手筒花火には孟宗竹は最も重要な物です
近年竹藪が減少する中、手筒仲間所有の薮を管理
させていただき、年一回は仲間全員で竹薮掃除を
しています。管理することに依って素性の良い竹が
育っています。





奉揚後の手筒

奉揚後の手筒は毎年新しい物に置き換えたり、数年飾っておく所も有る。
多く見られるのは玄関先の軒下に飾って有る。

手筒を奉納する勇気と度胸の持ち主は魔物も近寄りがたいと言うことで
「魔除けのお守り」として言い伝えられている。

また縁起物としても重宝されている。

大筒の本合火と手筒







手筒煙火の製作方法

手筒煙火は、自らを浄化させ、神社へ奉納する煙火として伝承されてきた神事で
あるので、放揚する人自身の手によって造られる。

竹取り 手筒の準備は竹取りから始まる。肉の厚い、真直ぐで真円い孟宗竹を1m〜1.2m位に切る
節抜き この竹を根元の1節を残して全部を節抜きする。

(抱え筒の節抜きと大筒の節抜き)
油抜き 火に焙ったり、熱湯に浸したりして竹の油抜きをする。
これは着火した時に火熱により筒が割れるのを防止
するためである。
縄巻き この竹に南京袋布等を巻き付け細縄で緊縛し、さらに、その外側に不動縄と称する太縄で巻き締めて筒造りをする。

以前は抱え手筒も手巻きでしたが、最近は手作りの道具で機械巻きになる。

片手手筒は写真のように手巻き。
土込み カガミの割れを防ぐため
カガミ
次に「カガミ」と言われる噴出口部分をつくる。以前は桧材が多く使われていたが、最後のハネの際、真赤に焼けた桧材が飛散する恐れが あるので、泥カガミを使っている、これは 作成技術に属するもので、煙火噴出の優劣が決まる部分でもある。
火薬 黒色火薬と鉄粉をムラなく混ぜる
仕込み 次の工程は火薬の調合である。基本的には、硝石、硫黄、木炭、鉄粉の配合である。これらの火薬は粉末が主体なので、湿気(焼酎等)を加えながら調合する。
詰込み これを手筒に詰込むのだが、湿気をもたせて、固く詰込むため、夜露を受けながら放揚日の前夜作業するのが最適とされている。、
 この詰め方の良否が手筒の出来栄えを決めるので、細心の注意が払われる。また火薬に空き間が出来ると竹筒が破裂する危険があるので真剣勝負でもある。
左の画像は片手手筒
(通称  ヨ−カン)
ハ ネ そして噴出後にド−ンと音を出すハネ粉という火薬を詰め、紙等を固く丸めて詰め、底を土で押える。
口切り 最後に、火の噴出口を作る。「口切り」をして完成する。
火薬詰込完了

大筒の関係
大筒の筒合わせ作業風景 筒合わせ
大筒の詰込作業 大筒用 合火、合火予備の詰込作業






大筒の放揚
大筒 櫓  全景
大筒 櫓 放揚


手筒煙火
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大筒煙火
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